俺からの要望。次回配信予定の楽曲『世界は君であふれて』を、早く配信させてほしいです。

※⇈ジャケット表紙に関しては、正式に配信する時には変更する可能性があります。
『世界は君であふれて』の配信条件は、こちらのページの一番下に記載されています。
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その条件を言うなら
楽曲全体でストリーミング再生10万再生突破
もしくは
楽曲全体でダウンロード数、1万ダウンロード突破
というのが2024年からの条件となってます。
スローテンポな曲だけど、俺の新たな楽曲、聞いてみたいと思いませんか??カラオケで歌ってみたいと思いませんか??ちなみにこの楽曲は、好きな人に告白しようとするまでの若者の気持ちをロマンチックに歌い上げている楽曲です。
『宇宙船』にも通じているような ロマンチックな楽曲です。俺の楽曲にはロマンチックな楽曲が多いけどね。
俺がNHK料金を支払い続けているのは、NHKの紅白歌合戦に、歌い手を出場させていく資格を持つためです。
現時点で配信している楽曲においては、まだ紅白歌合戦に出場できるだけの楽曲はないです。
『宇宙船』を歌うボーカリストのパフォーマンスが際立てば、出場できなくもないというレベルだと思う。(5年前ぐらいまでは『Pa-Pa-Paya』を紅白のおおとりに持っていくつもりでいたけれど、時代が進みすぎたかなと思ってます。)
しかし、本気でNHKの紅白歌合戦に出場し、大トリを務めていく楽曲は、これから配信していく楽曲群の中にあります。
とりあえず、紅白への出場は確実であるほどの楽曲は控えているため、俺の楽曲を歌う歌い手の人達もそれを望み、楽しみにしといてください。(俺の楽曲を歌う歌い手を出場させなければ、NHKは公共機関であっても倒産するぐらいのレベルになっていくと思う。そういう次元の話だという事です。)
アマチュアレベルの歌い方では、まったく通用しないので、必ず実力を確実に伸ばしていていってください。
俺と関わることによって、さらに歌のレベルは上がっていくので、よろしくです。
俺の楽曲を歌う歌い手の人達に希望することは
いつでも大舞台に出場できるように、レベルを上げといてくださいという事です。
娯楽というのは、その作品が全体的にハイレベルでなければ、聞き手を楽しませることはできないです。
それはアニメにしても、ドラマにしても、映画にしても、全体的にハイレベルな作品だけが、売れていくという現象と同じです。
ストーリーが面白くても出演者がダメなら、アウト。ストーリーがつまらないのに、出演者がプロ並みでもアウト、という事です。
俺と関わるボーカリストの人達に伝えたいことは、プロへ向けて、実力を伸ばしていってください。
という事です。
娯楽の最終目標は
それを見聞きする人たちを、大いに喜ばせる、大いに満足させる、という事です。
その歌い手が自分だけで満足する物事ではないという事です。
極端な話、あなたが満足していなくても、観客が満足できればいいという事です。
娯楽とはそういう世界です。
常に相手側の満足度に、その娯楽の価値があるという事です。
例え、自分の歌が下手であっても、観客を大いに満足させられるだけのパフォーマンスができるなら、それはプロだという事です。
そういう事です。
歌が下手気味なら、パフォーマンスにも力を入れる必要があり、
歌が最上に上手いなら、歌に徹して、聞き手をうっとりさせていく。
それが娯楽を提供する側の心得です。
聞き手に不満を抱かせるような、娯楽提供者は俺の世界の価値観では、クソだという事になります。
それは俺が作りだす楽曲に対しても言えることです。
そのため、クソみたいな楽曲はできるだけ公開しないようにしてます。
その楽曲が面白いモノか、つまらないモノかに関しては、その制作者側の判断であるため、単純には言えないけど、俺の基準は非常に高いです。
そのため、聞き手をある程度、精神的に満足させられる楽曲しか売り出さないし、発表しないという事になります。
歌い手側も、プロとして聞き手を大いに満足させたい、喜んでもらいたいと思うのであるなら、俺の楽曲と組んで頑張ってもらいたいと思います。俺と組めば、より向上していけると思ってます。
俺のこれからの楽曲制作は、音楽という山の頂点へ登っていくための制作活動となるでしょう。
エベレストの頂上を目指して登っていく感覚に似てると思う。
途中で、息絶える可能性もあるため、その時はよろしくです。
その途中で、頂点へ目指して息絶えた死者たちも見かけることになるでしょう。
実に険しい山登りとなります。
できるだけ早めに、俺の楽曲と関わるボーカリスト達は、俺の楽曲を歌い始めてもらいたいと思ってます。
それが頂点を目指す俺の励みとなるためです。
※ここでいう頂点とはその楽曲が100年、200年越えても聴き続けられるような楽曲の制作のことです。
その場しのぎの流行の楽曲の制作ではないので、よろしくです。
※「本物の天才ならそれができる」というのが俺の持論です。俺としては「天才」への挑戦となります。
それは今でも自分の天才性が本物なのかどうか分からないためです。俺は自分の才能を信じているけれど、まだ分からないし、確信できないという事です。
「本物の天才なら、すべての常識的な基準を超えていく」というのも俺の持論です。
結局、天才の性質は100年以上先にある結果でしか分からない事柄なんだけど。
本物の天才は常に100年以上先の物事を作り出していくため。
本物の天才達が作り出すモノはあまりにも先に進み過ぎて、その当時の世間の人達には、よく分からなかったりするという現象にもなります。ただ、その当時の世間の人達からすれば、よく分からないけど希望が持てる状態にはなると思う。それが持続して未来の世代に受け継がれ、100年を越えていく流れになるんだと思う。
本物の天才が作り出したモノは、人々の意識から完全に消えることはなく、よく分からない感じで持続されていく流れとなると思う。過去の偉人たちの作品が死んだ後に評価されていくのは、そういう流れがあるためです。
それに対して、評価している者は評価し続け、持続されていく流れとなる。
天才じゃない作品は、100年後先には世間から完全に忘れ去られます。その作品を思い出せる人間もほとんどいなくなります。さらにはほとんど聞かれなくなります。