『暗い夜明け』、21日(月)から配信予定です。
※”MUSIC”ページにおいては、ジャケット写真を使わせてもらっている作者達にリンクをつけました。
(現在、音楽活動における収入はないに等しいため、寄付はできないけれど、宣伝だけしときます。という事です)
音的にも音圧的にも問題ないでしょう。おそらく。
この楽曲は海外にも多少通じる楽曲だと思ってます。
再調整をしようとした時、アコースティックバージョンで、最後まで静かに行こうかなと思っていたけど、やはり最終的にはドラムを入れ、ロック色が強くなりました。ドラムのリズムは新たに打ち直しました。(ちなみに、ボーカルラインの最も高い音はA3となります。)
頭の中では、クラシックバージョンとロックバージョンで二つ出そうかなと思ったけど、今回はこのバージョンだけにしました。
やはり音圧を上げた方が、楽曲全体的には重厚感が出るような気はします。
俺が音圧の参考にしている楽曲は、アリアナグランデ、ニュージーンズ、ジャスティンビーバーの楽曲です。どれも、音圧が高い高い。個人的にはその1歩手前当たりの音圧で、進めています。
今回の『暗い夜明け』の音圧も高めた方だけど。聞き返してみると、毎回「もうちょい上げたほうがいいのかな?」という感覚になるけれど、今までの音圧&音量レベルにできるだけ合わせようと思ってます。
次の配信曲は予定を変更してまだ未定です。
再調整のミキシング作業も、マスタリング作業も、地味に疲れることは間違いないです。
残り5曲の再配信においては、時間を見ながら進めたいと思います。
次の配信予定の楽曲が決まりました。
次回は、そう2018年ネット上で初めて 自分の楽曲を公開したあの曲です。この曲は意外とマニアの中では根強い人気がある曲だと思ってます。ちょうどこの頃宣伝してた映画が『もっと音量上げろ、タコ』というような映画で、俺もタイミングよく、音量の小さな音で、自分の楽曲を配信してました。
まるで自分に言われているような気がしたぐらいです。
今後の配信は、今までの予定に関係なく個人的な気分でいきます。=俺がその時の気分で配信したいと思う曲を配信していくという事です。
今回は男女のデュエットソングとして配信します。
余談
1998年俺が22歳の頃、「音楽は聞くものであり、作るものじゃない」と思ってました。音楽というのは特別な才能を持った人間達が作るものなんだろうと思ってました。楽器もまともに弾いたことがない俺には関係のない話でした。
だから俺はそれまで、とにかく「いい曲はないか、いい曲はないか」と 探しては、色々と聞きまくっていました。20歳を越えてからは、「いい曲」というものに飢えていたぐらいです。その頃になると耳も越えてきて、タダの売れ線の曲では満足できない状態だったと思います。
そして1998年の暮れから、浜崎のファンになり、最終的に「作曲もできないと、こういう悲しみを抱えた人間とは関われないし、助けられないな」と思いました。それによって2000年1月(大学卒業2か月前23歳)から、(学生としては冒険的な値段→)4万円ぐらいする作曲ソフトを買い、作曲の道へと進みました。
音楽の知識ゼロ、演奏能力ゼロの状態からです。そしてそのわずか2か月後あたりから作曲者として、作った曲を当時の東芝EMIのオーディション に送り続けるわけです。(1、2年はフロッピーにデータを入れて郵送してました。ひたすら落選し続けながらも、29歳まで続けていきます。)もちろん当初作った曲はまともな曲ではありません。
しかし次第にまともになっていきました。2001年の夏にNYで作った『rainy』を聞けば分かります。この辺りまで作曲能力は向上していたという事です。(俺の作曲活動の土台には、人を助けたいという気持ちが元になってあります。そこに遺伝的に持ち合わせていた音感やセンスが結びついたという事になるんだと思います。それによって見事に音楽の世界にのめり込んでいきました。)
※2000年当時、オーディションはテープ録音の郵送が主流だったと思うけど、おそらく、その当時フロッピーに楽曲データを入れて、オーディションに臨んだのは俺ぐらいだったんじゃないかと思います。それぐらい、音楽制作における分岐点の始まりだったんじゃないかと思います。パソコンでの楽曲制作の幕開けとなる地点にいたと思います。DAWは現在主流だけど、2000年当時はほとんどいなく、「パソコンで作った音楽は音楽じゃない」ぐらいの空気感はあったように思います。
30歳になり音楽活動を諦め、就職した中で、再び作曲活動を始めた理由は、33歳の時、ある時見た映画の中から聞こえてきたバッハの曲だったと思います。「なんという旋律だ!」と感激し、確かそれをキーボードで弾いてみたくなったような気がします。そこから再び独自に作曲活動を始めるようになりました。
俺の演奏能力が向上していった期間は、俺が33歳ぐらいから38ぐらいまでの期間だったと思います。なぜならその期間はパソコン(win98)もDAWソフト(Homestudio)も旧型過ぎて、使い物にならなく、唯一NYで買ったキーボードだけがまともだったからです。(音楽に投資する気があまりない時期だったかもしれないです。お金もあまりなかったけど。)
そのため、その期間(約5年間)においては、常にキーボードを弾きながら作曲し、作曲したものはすべて何度も弾くことで暗記し、ある程度の数のメロディラインを頭に入れていたと思います。(その頃にキーボードで弾いてケータイに録音したメロディやフレーズなどを参考にまとめていったのが、2021年に制作した楽曲群です。(この期間はアナログ的な期間でした)ちなみに『遠い夜明け』だけは完全に2021年に独自に作り上げていったものです。)
『Silent passion』(訳/静かな情熱)というインストの曲をtunecoreで一番最初に配信したのは、そのキーボードで作曲をしていた時期に何度も弾いて暗記していて、通して弾ける楽曲だったからです。(ゆっくりとした曲だけど、一音一音にこだわって作った楽曲です)
「別に楽器が全く弾けずに作曲活動しているわけじゃないよ」という個人的訴えも強いです。
音楽ソフトに投資できるようになったのは2015年であり俺が39歳の頃です。
その時に買ったのが”SONAR×3”であり、このソフトを使って、2018年の3か月に渡る(個人的に)壮絶な作曲活動を行いました。(作曲途中に死んでもいいと思ったぐらいです。タバコ吸い過ぎて肺が痛かったこともあります。)
「雪がとけたら・・・」「Winter Day」「幸せの切符」「いつか見た空」「あなたのいない世界で」などもこの頃に作った楽曲です。
この時期にしても、「編曲やミキシング、マスタリングなどの曲の仕上げは、あとでプロにしてもらうからメロディラインだけ作ろう」という気持ちで常に作業を進めていました。
そんな中"SONAR×3"もすぐに古いソフトになり、
("SONAR×3"はここにきて、他のパソコンへのアクティベートが成立するようになり、現在2つのパソコンでも使えるようになってます。それに関しては、シンガポールの(Cakewalk by BandLabの) トップに「Thank you!」と言いたいです。)
そして2021年から”Cubase10”へ移行するわけです。
2021年にtunecoreから配信した楽曲のミキシング、マスタリング技術が足りなかったのは、それまでメロディラインを作ることだけに集中してきていたからです。
「ミキシング、マスタリングも自分でやらなければ、ダメなんだな」と思い始めたのは
2022年2月『雪がとけたら・・・』の配信をし終えた頃からです。
この楽曲は最大級に聴覚神経を使っているため、ミキシングはそれなりの状態になってると思います。ただ音圧が足りないかなとは思ってます。
それ以降、ミキシング、マスタリングの技術レベルの向上を目指して進んでいるという事です。
もはや、楽曲の完成まで、頼れるのは自分だけとなり、全部自分でやる流れとなってます。
そういう事もあり、ミキシング、マスタリングに関しは現時点においても発展途上だという事です。
2024年に購入したボーカルソフトであるSynthesizer V の AI Ryoも今回の配信し放題に、やる気を持たせてくれています。
ボーカリストがいなくても、それなりにボーカルとして聞かせてくれるからです。
ホントは実際の生身のボーカリストが歌う歌声の方が、味があるんだけれど、しばらくはしょうがないでしょう。
ボーカリスト希望者が「この曲歌ってみたいな」と思ってくれるか、
聞き手の人達がざわつき始め「この曲、誰かに歌ってもらいたいな!」という要望が次第に強まっていくことを願うだけです。そうすればボーカリスト達もやる気を出してくれるでしょう。