Cubase13にはReWire設定の機能がない可能性
ソフトウェア間をオーディオ・MIDIで接続するオープンな規格、ReWire
Cubase11ではReWire機能があり、Vocaloid5とも再生におけるDaw側との同期連動ができたんだけど、
どうやらCubase13には、他のソフトと連動させるReWireの設定項目がない可能性がある。それによって現在の俺の作曲環境においては、Vocaloid5とCubase13との相互性&連動性がだいぶ低くなり、作業しにくくなってしまった。
Cubase13のマニュアルの中にも”ReWire ”という言葉がないため、おそらくDaw側においてもソフトを安定的に作動させるために"ReWire機能 "を 廃止した可能性はあると思う。
※その後調べた結果、ReWireは2020年に廃止されたらしい。⇒ReWireでDAWを連携させる (dtmdays.com)
※2011年当時から”ReWire”規格の廃止は検討されていたという記事 ⇒どうなる?64bit時代のReWire問題 [DTM・デジタルレコーディング] All About
Cubase13に変えて以降、回りの外部音源ソフトの進化も含めて、相互性の欠如も増し、旧から新への移行が上手くいっていなく、やりにくさが倍増している。
作曲ソフトを最新版にするとこういうことになってしまうのであるなら、そこまでは最新版への買い替えは進められないなと個人的には思っている次第です。
ただ最新版のソフトは、どれも音源も良くなっているし、単体単体のソフトにおいては作業もしやすくなっていると思う。
問題は、ソフト同士の連動性や相互性、旧データと新データの相互性あたりだろう。
INのKomplete14も"kontakt(6)"から "kontakt7"に更新したことで、俺は今まで作ってきた楽曲のほぼすべてを "kontakt7"に合わせて、再調整しなければならなくなっている。そのことに関しても、マイっているところだ。
音楽ソフト業界も、今、”音楽の食べ放題不況”によって、短期的利益を追求する傾向が強まっているように見える。しかしそれによって余計に売れなくなっているんじゃないかと思ってしまうけど、実際のところはどうなんだろ??
ここで言う”音楽の食べ放題不況”とは、
音楽が誰にでも安く聞けるようになったことで、音楽の価値は下がり、収益も激減し、アーティスト達に満足のいくお金を支払えなくなり、またアーティスト達も収入が激減し、音楽活動を辞めていく人たちが増えてきたことによって、音楽関連ソフトも売れなくなってしまった現象のことを伝えています。
音楽活動をする者達が希望を持って活動できなくなってしまったストリーミング商法に関して、俺は今現時点においても、異議を唱えています。
これから音楽業界で生き残っていくのは、本気で作曲が好きな人達や、音楽が本当に好きな本物達だけとなってくるだろうと思う。
そのため、最終的に音楽の質は落ちないだろうとは思うけれど、競争率が下がっているため、全体的に作品レベルは落ちていくだろなと推測はしている。
一応、俺も本物の1人です。
ここで言う本物とは、お金や収益のことなど気にせず、「自分こそ天才だ」と思って作曲をしている者達のことです。
たぶんそういう人達しか、この音楽の不況上においては精神的に耐えられないと思う。
俺は作曲に対して20年以上、収益ゼロでここまで来ている人であるため、よく分かります。
相当な才能を自分自身で感じられない以上、収益なしに10年以上は続けられないし、絶対に途中で挫折し、やめていくと思う。それが音楽の世界だと思う。天才たちしかまともに生き残っていけない世界だということ。
それを自覚しながら、俺は活動しているのでね。だから俺は毎年毎年、自分の才能状況を確認しながら作曲しているという事です。だって、10カ月以上なんの作曲活動もせずに、突如として一カ月半作曲し、いい曲を作るなんて。それなりの才能とセンスがなければ無理だと思う。
俺と同じような作曲サイクルで、いい曲作れますか?という話です。他のプロのアーティスト達はみんな365日体制で作ってるんですよ。
俺は驚くほどのハンディーを背負って作曲をしているという事です。しかし365日体制で作曲をしていたら早死にはするだろうけど。
そう、俺のここ数年の作曲に対する考え方はこうです。
「10ヶ月以上なにもしていなくたって、俺が天才であるなら、必ずいい曲を作れるはずだ。もしいい曲が1つも作れないなら、俺は天才じゃない。天才でないなら、音楽活動は趣味でやるべきだよな」
という考え方の元に、毎年作曲に挑んでいるということです。
そのため、毎年毎年、自分自身を相当追い込みながら作曲しているということです。今年の作曲活動中胃の調子がだいぶ悪かったのもそのせいだと思う。
こっちも今までの犠牲や苦労があるため、自分の才能が天才以下に落ちてきてしまうと、今までの努力が無駄になってしまう怖さがあるということです。それは引退せざるをえなくなる怖さということです。
余談として、
突如として1ヶ月半作曲する中においても、自分の中での自己評価を伝えときます。
その期間の中で1曲しか納得できるいい曲ができなかった場合の自己評価は、
「別に大した天才ではないな」という自己評価となります。
いい曲が2曲しかできなかった場合も、
「それほどの天才ではないな」となります。
いい曲が3曲だった場合は、
「まぁまぁかな?」という自己評価、
いい曲が4曲できた場合は、「いい方かな」という自己評価。
いい曲が5曲できた場合は、「間違いなく天才だろう」という自己評価。
いい曲が6曲できた場合は、「天才の領域を越えてるかもしれない」という自己評価。
いい曲が7曲できた場合は、「人間じゃないかもしれないな」という自己評価。
いい曲が8曲できた場合は、「神の領域にいるのかもしれないな」という推定自己評価。
その期間に作った曲が全曲いい曲だった場合は、、「神、確定!!」という自己評価になるでしょう。
そんな自己評価採点において、
昨年の作曲活動も今年の作曲活動も自己評価的には「いい方かな」という評価です。
今年は"いい曲5曲"を目指していたんだけど、ちょっとできなかったなという悔いが残っている状態であるということ。
現在の自己評価はそんな感じです。