2025年10月余談記事Vo8

2025年10月28日

田原総一朗、暴言謝罪で番組打ち切り直後の『朝生』出演「高市さんが総理に賛成の人、手挙げて」質問に共演者困惑

この記事に対して思う事は、「だったら田原さんの番組見なきゃいいだろ!」という話なんだけど、

わざわざ田原さんの番組を見て、その言葉に対して揚げ足を取って、批判している者たちの頭の悪さには、驚かされる。しかも回りの共感さえも求め、自分達優位になろうとしているところが滑稽だなと思います。

番組にはそれぞれの個性があっていいんです。そしてそれを見たい、聞きたい人が視聴していけばいいだけの話です。

田原さんの番組というのは、昔からそういう番組である以上、見たくなければ見なければいい、それで視聴率が取れなければ、番組はなくなっていく、それだけのシステムです。「そんなに文句言うなら視聴率に貢献するなというな」という話です。

タダの暇つぶしの視聴者の批判だけで、番組がつぶれるというは、バカらしいと思ってます。

人それぞれ、政治的考え方も違うし、相手に対する受け取り方も感じ方も違うわけです。そこには人間的な相性の問題もあるし、人それぞれの好き嫌いの問題に関して、どうこう言う話ではないと思ってます。


私は田原さんの番組を進んでみようとしたことはないけど、「面白そうだな」と若い頃からずっと思ってました。(実際には、「朝までは見てられないよ」という理由がもっとも大きかったけれど。)

個人的には

田原さんには言いたいことを言ってもらい続けたいと思ってます。それは面白いからです。

「そういう考えもあるんだぁ」とか「なるほど!」とか、色々と自分なりに学べるところが田原さんの番組の良さだと思います。

別に考え方を田原さんに合わせる必要もなければ、同調する必要もないんです。田原さんの番組は出演する一個人が大いに自分の考えを主張できる番組なんじゃないかと思ってます。

そんな番組の中で、人の主張の上げ足を取り続けるというのは、愚かな言動じゃないだろうか??

物事の道理が理解できていないという事になります。

ネット上においても知能レベルの低めな批判記事は少な目でお願いします。



政治的余談

私は夫婦別姓に関しては、個人的に反対してます。

選択的夫婦別姓は、結局お互いに愛し合っていないことを公的に証明してしまうことになるからです。

その証明をきっちりさせたいというのであるなら、夫婦別姓も悪くないとは思います。

基本的に、男女は互いに愛し合っていれば、同じ苗字になりたいと思うんです。

愛し合っていなければ、「契約上での婚姻なんだから、苗字も別でいいじゃん」という事になります。

夫婦別姓はそれだけのことです。

互いに愛し合っている状態か、愛し合っていない状況かが、目で見て分かるようにさせたい場合は、夫婦別姓。

分かりにくくしたい場合は夫婦同一性という事でいいと思います。

夫婦における愛のケジメを追求しているのが選択的夫婦別姓の案件だと思います。

離婚まではいきたくないけど、「別姓にはなりたいな」とか長い時間を過ごしてきた夫婦間においてもいろいろな感情があるでしょ。

どうであれ、男女は好き者同士であったなら、基本すべて一緒になりたいと思うはずだという事です。

好き者同士でないのであるなら、苗字などどうでもいいという話になっていくという事です。

今どきとかの話ではないです。

すべては互いの愛の問題です。


さらなる余談として、夫婦別姓は社会システムをより複雑化させる流れとなります。そんな夫婦別姓のシステムに四苦八苦労力を使うぐらいなら、

もっと社会的に経済活動に専念できるようなシステムの構築へエネルギーは注いだ方がいいと思ってます。

夫婦別姓からの統一性(夫婦性同一)なら、まだ分かるけど(「そりゃ効率的なシステムだ!」と思えるけど)、夫婦別姓問題はシステム的に逆に向かおうとしていると思った方がいいと思います。

(選択的)夫婦別姓もまた社会的には、よりめんどくさくなるシステムだという事です。

いわゆる社会的効率性からすれば真逆の案件であるという事です。

「時は金なり」である以上、

無駄に余計な時間を取っていく社会システムの構築は必要ないだろうというのが個人的な考えです。

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