2025年10月余談記事Vo6
今回の田原さんの件を、簡単に言えば、田原さんのことをよく分かっていない孫世代にその言動を注意されたという事になるでしょう。
大したことではないのに、まるで重大な物事であるかのように、ネット上や朝日テレビ内で騒いでいたことに関しては、人として愚かだなとは思ってます。
「死んじまえ」よりもっとひどい言い方は「死ね」です。
「死んじまう」という言葉は東京弁らしいです。個人的には江戸っ子弁に聞こえるけれど。(YAHOOの知恵袋から)「死んじまえ」はその命令形だと思います。
個人的には田原さん発言は相手への不満感をオブラートに包んだ物言いだと思ってます。(田原さん的に気遣いも含まれた物言い)
オブラート・・・直接的な表現をさけ、歪曲して表現する事。相手に配慮した言い方をする事。
ものごとを直接、あからさまに言ったりせず、相手を気遣って、間接的に言うこと。
それが方言的な表現による若干柔らかい言い方となる「死んじまえぇ」となっている点は重要な点だと思ってます。
※最も重要なことは、田原さんがなぜそんなことを言ったのかという点です。
それまでの田原さんと高市さんの間でどんな議論ややり取りがあったのか?私は全く知らないけれど、その過程を知っている人達なら、理解できる話となります。
高市さんにも、何らかの問題があることは、高市さんを批判する人たちの話を聞いていれば分かる事です。
理想的には、田原さんと高市さんとの議論の中で話がかみ合わなかった地点の議論を再びクローズアップしてもらいたいと思うぐらいです。
それが物事の深みってやつです。
タダ相手が言った表面上の言動だけ取り上げて、批判するのは、誰にでもできます。
どんなテーマで田原さんと高市さんはぶつかり合っていたのか?世間の人達はそこらへんに気興味はないんだろうか?
この社会の世論には、二つの世界があります。
それはネット内での世論とネット外の世論です。
そのためネット世論だけを物事の中心として判断していった場合、思わぬ誤算が生じることがあります。
恐らくネットの世論とネット外の世論の割合は、半々ぐらいなんじゃないかと個人的には予想はしてます。
ネットの世論とネット外の世論が一致する時もあれば、真逆の時もあります。
この社会が、ネットの誕生によって、ネット内の世界とネット外の世界に分かれているという事を認識しておかないと、結果を見誤る可能性も高くなると思ってます。
この事は、アメリカの大統領選でも表れていたし、都知事選でも表れていたと思ってます。
物事が大きくなればなるほど、ネット内の発言は半分ぐらいの力しか(もしくはそれ以下の力しか)持たなくなってくるんじゃないかと思ってます。
その中で見えない声にやられたり、見えない声に助けられたりしてくるんだと思います。
ネット内での発言がすべてだと思っている人がもしもいたとするなら、この世の全体像は把握しといた方がいいとは思います。
そのため、田原さん発言への批判も、ネット上の批判発言だけがこの社会を覆っているわけではないという事です。たぶんこの世の半分の人、もしくはそれ以上の人達は田原さんを批判していないとみていいんじゃないかと私は思ってます。
本当にコワいチカラというのは、見えないチカラだと思ってます。
※ネット発言において、厄介なのは、ネット発言というのは回りを誘導しようとするクセを持っていることです。それが良いことであるならいいんだけど、間違った方向へ誘導する者たちも確実にいるという事です。
田原さんの「死んじまえ」発言に関しては、
昔からは田原さんという人を知っている人なら、「いつものことじゃん。」とか「よくある田原節じゃん」と思えるんだけど、
どうやら、視聴者の世代がだんだん変わってきたことによって、批評の内容も変わってきたという事なんだろうと分析しました。いわゆる、ゆとり世代や道徳世代の年代が徐々にネット上で発言力を強めてきているという事だと思います。
たぶんそれだけだと思う。
おおよそ、50歳以上の視聴者はネット上での発言は年齢が上になるほどしなくなります。ネット上での主な主張は、おおよそ50歳以下、もっと言えば45歳、もしくは40歳以下ぐらいからどんどん増えてきているんじゃないかと思ってます。
そういう世代からすれば、田代さんの発言は、タダのじいさんの暴言に聞こえてしまうんじゃないだろうか??
恐らく、田代さんは番組を続投していても、視聴率は変わらずに進んでいたと推測します。
田代さんの「死んじまえ」発言には、田代さん的政治的信条やそれまでにあった相手との意見の食い違いなどがあり、その発言内には田代さん独自の深みがあり、その「死んじまえ」という発言だけを取り上げて、批判してもそこには深みがなく空虚な批判だと思ってます。
あるのは、ただ人として言っちゃけない言葉を言ったという批判だけです。
ネットの批判に、すぐに屈するテレビ局も、骨のない組織であるためしょうがないけれど、
モラル世代の発言によって、刺激的で面白い番組が、また一つ減ったという事でしょう。
人間社会としては、モラルというものは窮屈でつまらないものなんだけど、結局はバランスの問題で、モラルが行き過ぎなければいいとは思います。
モラルを強く言う人に限って、ある時とんでもないことを言ったりやったりすることがあります。
モラルも行き過ぎれば、田原さんの「死んじまえ発言」の数倍以上危険だと思ってます。
結局、田原さんは人間的な発言をしただけです。
そしてモラルを重んじる者たちがその人間性を否定した。
今回の件はそういう流れだと思います。