1999年(22歳)から2003年(27歳)頃の俺の恋愛的行動力

この時期は芸能人(歌い手)に対しての恋愛感情が強く湧いていた時期でした。(この辺りから一般女性への恋愛感情が激減していきます。)
1998年暮れ(22歳) からは浜崎あゆみ
2001年(24歳)からは宇多田ヒカル
2002年頃(25歳)からは倉木麻衣
といった感じです。(宇多田からは1年おきに相手が変わっていた記憶があります。)
その流れの中で、俺が現実的にとっていった内容を軽く伝えときます。
まず浜崎あゆみに対しては、オフィシャル掲示板でコメントを日常的に送っていました。そして、浜崎が売れていく中で、浜崎が出演するいくつかのテレビ番組の観客の1人として収録スタジオへ足を運び、浜崎の生歌を聞いていました。(どこかのテレビ放送では俺の後ろ姿も一瞬映ったりします。←もちろん分かる人にしか分からないけど)ライブは初期に行っていた”シークレットライブ”とNHK放送の収録公募にも当選して聞きに行ってます。(”シークレットライブ”の公募では応募したものが2枚当たり、もう一枚を、浜崎の掲示板で知り合った面白いおじさんと連絡を取って会場で会って渡した記憶もあります。)さらに写真集が出た時には、握手会へ向かい、浜崎と握手をし、一言だけ声掛けをしてます。(今でもあの時のことを俺は覚えています)
次に宇多田ヒカル
宇多田ヒカルに関しては、直接会ったことも話したことも直接見たこともないです。その当時のオフィシャルサイトで時々応援メールを送っていました。そんな中、宇多田のミュージックビデオを作っていた紀里谷和明という人に会ってみたいと思い、その人が主催する写真や映像の同好会のようなところに参加したことがあります。
まだ宇多田と紀里谷氏が結婚する前の時期です。
参加した時に、集まっていたのは5,6人の若者で、どっかの居酒屋を貸し切ったようなところで、昼間になんだかんだと自分の作品を紹介し合いました。俺の目的は紀里谷氏に会う事であったため、適当に芸術的そうな写真を持参していったことを覚えています。
その数か月後か何カ月後か、電撃結婚的な知らせを俺はテレビで見てショックを受けています。
俺は2001年7月頃にニューヨークへ向かっているけど、それは宇多田を会いに行くためでも、探しに行くためでもなく、流行の最先端であるニューヨークの最新の曲を把握しておきたい&勉強しておきたいという思いで行っています。
そして最後に、倉木麻衣。倉木麻衣に関しては、一度チケットを買ってライブを見に行ったことがあるけど、倉木がミニスカはいて歌っていたため、俺は怒って途中でライブ会場から出ていったことを覚えています。
倉木麻衣に関わるための行動としては、倉木やB’zやZARDなどが所属している”ビーイング”の運営しているミュージックスクールの面接に行きました。その時は1対1の面接&説明会のようなものだったと思います。
そこで俺が作った曲などを聞いてもらった記憶もあります。(この時聞いてもらった曲が、現在完成している『追憶』という楽曲のデモ曲です。←キーボードのみで弾いて作ったデモ曲です)
最終的にそのミュージックスクールの方針に疑問符がついたこともあり、「まぁ行かなくてもいいかな」という思いの元、その場限りの説明会となりました。
といった具合です。
若い頃の俺はまぁまぁ現実的な行動を取っているんじゃないかなとは思っています。
夢を現実へ変えていこうとする努力はしていたという事です。
それがその人の行動力だという事です。
余談として、その後は、まともな現実的行動をすることもなく、あっちこっちの(歌い手とは関係ない)芸能人女子達へと気持ちが移り変わり、40代に入った頃には、「恋愛とはいったいなんなのか?」と考えるようになりました。
だからこそ、会ったことも話したこともない相手に恋をするという現象は、そんな大した恋愛感情ではないという悟りに至ったという事です。自分の感情に酔っているだけだと思っていて間違いないでしょう。
相手に対しての恋愛感情において重要なことは、
その相手に対して、現実的な言動がどこまでとれているかどうかです。
その想いを現実の中で成し遂げていこうとする行為が現実の中でとれているかどうか、自分の行動力に対して確認してみるのもいいと思います。
人はその想いが本物なら、その相手に関わる現実にはすべて関わろうとしていくという事です。
その中で、相手との関係が成立する確率を見極めていくという流れになるでしょう。