遠野なぎこがそこまで精神的に悪化していたとは知らなかった。

蛇に噛まれたことのある者は、一本の縄を見ただけでも、恐怖を覚えてしまう。
あるニュース記事の中で、本人が"「心配という名の元に…」心配やアドバイス、誹謗中傷"にうんざりしていると言っていることに関して、
やはり、対人恐怖症なところもあるのだろう。回りが敵に見えてしまう現象は、幼少期に愛されずに育ってきてしまったことが最大の原因だと思う。
それは幼少期から普通以上に愛されて育ってきた者が、自分を騙す人間さえ疑わず、みんな自分の味方だと思い友好的に接していく現象の逆のバージョンとなる。
過食症と拒食症は、同じ病です。
そういうこともあり、拒食症も精神的なケアー次第で必ず治ります。
そのどちらも、幼少期に受けた愛情不足が原因です。
回りの人たちは本当に遠野なぎこのことを心配してると思うんだけど、
遠野なぎこは、それらの人の愛情が分からない状態なんでしょう。愛情を受けてこなかったために、人の愛情の形が分かっていない状態であることを自覚する必要はあるだろう。
人は大人になると、幼少期に育ってきた環境と似たような環境を求めてしまう。
虐待されていた人は、虐待してくるような相手を求めてしまう傾向があるということ。
そして虐待されて育った者は、大人になってから自分の子供にも虐待してしまう。
そのために、土台の育った環境が"負"であった場合、常に悪循環の連鎖の中で生きることになってしまう。
その連鎖を断ち切るには、本人の強い意思が必要となってきます。
幼少期に満たされなかった親への甘え、押さえ込んできた子供特有のわがままさ、今でも全く満たされないそういった感情を自覚し、
自分なりに解消していきたいという気持ちがあるのであるなら、
十分に希望はあるので、過去の環境に打ち勝ってもらいたいと思います。
今の遠野なぎこに対して誹謗中傷する人間はいないと思っていた方がいいでしょう。
それらの誹謗中傷は過去の記憶や環境が作り出している幻想の可能性が高いため、
現実を正確に見ていくように心がけてみるのもいいと思う。
個人的には、遠野なぎこの精神を治癒したいという思いは強いため、
俺の世界がもうちょっと大きくなるまで、待っていてもらいたいなとは思ってしまう。
もちろん、本人が精神的な病を治したいという思いがある場合においてだけど。
遠野なぎこが、どんな音楽が好きかは分からないけど、
とりあえず、癒しの音楽である"image"の中のどれかに入っている"JIN"のテーマ曲(ウェイウェイウー)とか『大改造!!劇的ビフォーアフター』のテーマ曲(松谷卓)とか聞いて、心癒せるか試してもらいたいものだね。
ちなみに、過食症とは、おそらくだけど、その人的に愛情を拒んでいる状態じゃないかと推測している。人間の愛情を疑っている状態の可能性もある。
過食症は、逆に愛情をとにかく欲している状態だと分析はしている。
人の愛情を拒んでいるということは、遠野なぎこの「放っておいてほしい」という発言からも分かること。
まずそれはなぜなのか??なぜ愛情を拒んでいるのか??から
考えていった方がいいかなと。
人の愛情とは怖いものではなく、優しいもの。怖いもの、疑わしいものだと誤解はしていないかどうか?
虐待的な言動はその人の愛情ではなく、その人の憎しみや恨みからくるものです。
愛情とはどんなものか、憎しみとはどんなものか正確に認識していく必要があるかもしれないなとは思う。
幼少期の親子関係で虐待的な行為を受けた子は、大人になってからも、その最悪な記憶の元に呪縛に襲われていく傾向にあります。
その呪縛とは、親が持っていた憎しみや恨みの呪縛であり、その子にとってはそれが呪いの呪文のような効果を発揮していき、その人の精神を拘束していくかのように縛っていきます。
こういう親からの呪縛からどうすれば解き放たれることができるか?どうすればその呪縛から逃げることができるか?
それに対する俺の出す答えは、考え方を変えることによる変革です。
その人の考え方を変えることができれば、憎しみや恨みにさいなまれた親の仕打ちによる呪縛から逃げ切ることもできるし、解き放たれることも可能だと思っているという事。
その人の考え方を変える最良の考え方を、とりあえず提示します。
「私は、幸にも不幸にもこの世に生を受けて生まれ育ってきた。
それを憎しみや恨みにさいなまれた親からもらった虐待的な言動によって、なぜ私自身が苦しまなければならないのか?
私自身がこれから生きていく貴重な時間を、なんで、親からバトンタッチされた憎しみや恨みや怒りに支配されながら生きなければならないのか??
バカバカしくてしょうがない。
私は私の責任ある行動をもって、自分の人生をより豊かに充実させて生きていく。
親からもらった憎しみなどどうでもいい。
私は親から与えられた呪縛から独立し、私は私の人生を生きる。
私は決してあんな親のようにはならないと誓う。」
だいたいこの辺りの考え方までたどり着けるようになるまで、思考的に進んでみてください。
この地点の考え方に伴った行動を現実的にできるようになれば、その頃には精神的な病も治っているはずです。
遠野なぎこの今日のブログをチェックしてみた限り、まぁ元気そうで良いんじゃないかと思う。
これからは相当たまに、チェックしようかと思う。精神の病はその人の考え方や気持ちの持ち方を変えていくだけで治っていくと俺は思っているのでね。
遠野なぎこがコメント欄を閉鎖していることに関して個人的に思ったことは、「それ普通。」という事だった。遠野なぎこのブログページを見て、一瞬不思議に思ったことは、相談窓口のようなコメントの受付欄があったこと。
「あなたが精神的に病んでいる状態なのに、なぜ、他の人の相談にのれるのか??」
と俺は思ったという事。
「無理がある」とも俺は思っていた。そのため、こんなに早い段階でコメント欄を閉じたことに関しては、逆によかったんじゃないかとさえ思ってしまう。
心が病んでいる状態の人の相談にのる時には、その本人が健全な状態でなければならない。
親からの虐待という共感性における、グループ内でのミーティング形式の会話なら問題なかったとは思う。いわゆる、掲示板形式で”親からの虐待”について、より集まってみんなで愚痴をこぼしていくような話し合いとかなら、それぞれにとって有益となるだろう。
会員制の掲示板を作って、親から虐待されたことのある人達がそこに集まって愚痴でも何でも言うことができれば、いいんじゃないかとは思うんだけどね。
遠野なぎこは若干、一人で多数の問題を抱え込もうとしているところがあるように思ってしまう。
その考え方を変えていくべきだろう。心に傷を持った者たちは基本、同じような精神状態であり、
偉いも劣っているもない。みんなで寄り集まって、まずは愚痴を言い合うしかないだろう。
精神的な病にはストレスが伴うため、それを発散させる場を作っていくことが必要だと思う。(6/29)