本物の天才が作り出したものは、余裕で100年を越えていく。

2025年02月22日

今まで歴史に残っている天才たちの作品を見ても聞いても分かるように、

どう考えても、その当時の感性や感覚を遥かに超え、100年200年300年400年先の人達にも通じるように作られていることは注目すべきところだと思う。

そのため、歴史に残ってきた天才たちの作品は、その当時の人達、万人から、そこまで認められることもなく、時代の流れの中で徐々に徐々に浸透し、その価値を理解されていくような形をとっていたりします。もちろん生きている内に認められる天才たちもいるけれど。

しかし重要なことは、

天才達が作り出したモノは、確実に時間を超えていくという事だろう。

この地球上に、そういう法則がある以上、

「少なくとも100年を越える作品を作れなければ、その人間は本物の天才ではない」

という事は言えると思う。

さらには、

本物の天才達はあまりにも先に進んでいるため、その当時の万人には理解されにくいところがあるという点も重要だと思う。

そして今回、俺が「天才とはなんなのか?」と考えていった中で思ったことは、

天才というのは、知能指数がやたらと高い人たちのことを言うんじゃないんだろうか?と思ったという事。

あまりに知能が高すぎて、その当時の人達から見ると「バカ」に見えてしまうという現象があり得るんじゃないという事だった。

よく、”バカと天才は紙一重”という言葉があるように、この現象は十分にあるように思ってしまう。

↑20代の頃にある友達からもらった本です。この本の中で偉人達の知能指数が表示されています。

天才とその人の知能指数には関係性があるのか??という今まであった疑問が徐々に解消されてきたような気がしている今日この頃です。

それは知能がやたらと高い者が、天才となっていくという事で問題はないんだろうという事を意味してます。

1685年に生まれたバッハの楽曲に”Sheep May Safely Graze”という曲があるんだけど、

この楽曲は、完全に今の時代に作られたような空気感があります。

もっと言えば、坂本龍一がこんな曲を作ってもおかしくないような楽曲なんです。

今どきのポップの香りが漂う楽曲なんだけど、重要なことはそれをバッハが300年前に作っているという驚異性なんです。

音楽の父と言われたバッハだけではなく、音楽の偉人達の作ってきた曲は、確実に今の時代においても通用しているという現象です。


現在においても、時の流れとともに流行りの曲調というものがあります。もちろん流行は流行でいいんだけれど、そういう流行の曲調が、100年後にもおいても通用し、万人もしくは大衆に聞かれていくと思いますか??俺は個人的にそれはないだろうと思ってます。

だから俺は、流行は追い求めません。

常に独自性をもって進んでいます。俺の楽曲が何年先まで通用するかは分からないけれど、

目指しているのは100年以上先の人達にも届けられる音楽です。

いわゆる普遍性を持った音楽を目指しています。

いずれ徐々に、俺の楽曲の全貌が公開されていくとは思うけれど、100年以上先を目指して頑張りたいと思います。

俺の作品に関する正式な評価は、まずは100年後という事でよろしくお願いします。

今地球上に存在する人たちは、ほとんど生きていないけどね。


余談として『頭がよいってなんだろう』からP106↓を紹介


世紀の大天才であるモーツァルトの手紙の中で印象に残る言葉は、

”死去する3年前の手紙[15]に自分自身のことを語っている。

「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だったころから、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けています。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。僕が幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人はほかには一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」 ”

~ウィキペディアより抜粋~

死後3年前となると1788年頃に書いた手紙です。

今から237年前の手紙となる。(モーツァルトは35歳で亡くなっています。)

そしてモーツァルトの知能指数は、この本の中ではIQ150となっています。


人間は知能指数が150ぐらいになると、世紀の大天才になれるという事だろう。

そしてこの手紙はIQ150の人が書いた言葉となります。

正確に自分自身を分析し、正直に自分自身のことを語っているが分かるし、作曲への労力の大変さも語っている。

個人的にはこの作曲への労力の大変さに共感するだけです。

作曲にすべてをささげると早死にしやすい(命を縮めやすい)という俺の持論は、そこまで間違っていないと思う。


本気で作曲にエネルギーを注ぎ、エネルギーを使い切れば、1小節のメロディーを作る事さえ頭が重たくなってくると思う。現在俺は、若干そういう状態です。今は今までの作品の見直し作業でいっぱい。


2018年に3カ月で約20数曲作り上げた時には、その後約2年ぐらいは、まるで作曲する気にも音を出す気にもならなかった。エネルギーをすべて楽曲に吸い取られたような感じになりました。

そしてようやくやる気が戻り始め、キーボードと向かい合い復帰第一弾で作ったのが『太陽の下でI love you』です。

去年(2024)の夏においても8、9曲作ったせいか、作曲するエネルギーがまだ戻っていない状態な気はしている。

作曲には生命的なエネルギーを莫大に使うという事なんだけど。

エネルギーが有り余る若い時期に作曲をした方が、ベストであることは確かでしょう。

しかし、若くても相当なバイタリティ(相当なエネルギー)がないと、

作曲に魂を持っていかれ、薬物とかに手を出してしまったり、早死にするような行動をしてしまうと思う。

作曲というのは、不思議と魔の力が働いている分野な気もしている。

飲み込まれれば自分の命を縮めてしまう。

そういう分野です。

だからこそ、魂の入った音楽は人を虜にしていくところがあるのだろう。



2/24付け

その後、モーツァルトのウィキペディアを詳しく読んでみて所、

「ベーズレ書簡」というのもあった。

詳しくは、コチラのサイトで。主には下ネタがふんだんに入った手紙です。

この手紙もIQ150の人が書いた言葉であるという事。

映画『アマデウス』を見てもモーツァルトにはそういう性質があったことはイメージで分かるけれど、

結局、IQが高いだけに幅も広い言動ができるという事なんだろう。

IQ50ぐらいからIQ150までの言動ができる人なんだと思う。

自らも自分は変態だと言ってるし、正直で何よりだと思う。

それでも

ハイドンは1787年頃、モーツァルトに対してこう評している。(モーツァルトが31歳の頃)

”ハイドンは「もし有力者が彼の才能を理解できるのなら、多くの国々がこの宝石を自国の頑固な城壁のなかに持ち込もうとして競うだろう」と断言した。”~ウィキペディア「モーツァルト」から~


さらに、ゲーテ(IQ185)は演奏している7歳のモーツァルトを見てこう思ったという。

”7歳のときフランクフルトで演奏した際に作家のゲーテがたまたまそれを聴き、

そのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに並ぶと思ったとのちに回想している。” 

~ウィキペディア「モーツァルト」から~


モーツアルトの葬儀の状況に関しても、個人的には理解できるところはある。

”葬儀の日取りは「12月6日説」と「12月7日説」の2つがある[注釈 12]。遺体はウィーン郊外のサンクト・マルクス墓地の共同墓穴に埋葬された。誰も霊柩馬車に同行することを許されなかったため、実際に埋葬された位置は不明である[注釈 13]。この簡素でそっけない埋葬は、晩年のモーツァルトが後援者たちから軽視されていたことの表れだと考えられる”~ウィキペディア「モーツァルト」~


モーツァルトが後援者達から軽視されていた理由は、ただ一つだと思う。

モーツァルトが、その後援者(資産家)をバカにしていたから、でしょう。

個人的にはそれしか考えられません。

驚異的な知能を持ったモーツァルトと、一般レベルの知能を持った後援者(資産家)とでは、やはりこういう人間関係上の亀裂は起きてくるんだろうと思う。

いつの時代においても、驚異的な知能を持った天才たちは、社会中においては不運でしかない。

そういう天才を理解できる者達が、いつの時代においても少ないという点。

まして資産家クラスともなれば、知能の高い資産家(権力者)だってより限られてくる。

脳が足りない人間が金と権力を持つ悲劇は、いつの時代においてもよくある話です。


「金と権力を持つなら、確実に頭が足りてなければならない」というのは俺の持論です。


個人的には大天才じゃなくて良かったかなとは思うけど、似たようなことが俺の回りでも起きているという事は悲劇だとは思っている。

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