日本航空123便墜落事故に関する95%の真実。

2024年05月01日

その前に参考サイトとしてこちらのページも伝えておきます。この方は、自衛隊が原因で起きたという説を完全否定している人だけど、重要な箇所だけ、資料としてもらっているため、読んでみてください。
JAL123便墜落事故の自衛隊犯人説が嘘である理由|


事件があった日、自衛隊は相模湾で新型護衛艦"まつゆき"のテスト演習をしていました。
そこで、誘導ミサイルのテストもしていました。本当はその地帯で、そんなテスト演習はやってはいけないらしいです。なぜなら民間機が頻繁に通過する地帯だからです。しかし自衛隊は危険な演習テストをしていました。
無人標的機チャカ2を飛ばし、その制御をおそらくは新型護衛艦の管制室で行っていました。チャカ2は小型(182Kgしかない小型飛行機)であり、誘導ミサイルも4メートルほどの小さなものであったため、「これぐらいならいいだろう」という安易な気持ちでテスト演習をしていたようです。
しかしその無人標的機チャカ2を追いかけて飛んでいった誘導ミサイルはあろうことか、ジャンボジェットの付近までいってしまいました。

1985年代の誘導ミサイル↓↓


チャカ2↓↓


管制室でチャカ2をコントロールしていた人間は急旋回するようにコントロールした結果、123便の垂直尾翼についているラダー(方向舵)をかすめて飛んでいくような形でしたが、当ってしまい損壊させてしまいました。(海底に沈んである123便の損壊物はラダーの一部です。=四角い物体。油圧系統&隔壁に関するものではありません。)

ラダー(方向舵)↓↓


それと同時に誘導ミサイルは方向転換できずに直進したまま123便の脇腹、ちょうど荷物室がある左後方の脇腹辺りに当たりに、突き刺さってしまいました。恐らく機体から25度ぐらいの角度で突き刺さったようです。
その事によって機体に穴が開き、123便の機内に外気が一時的に流れ込みました。しかし、幸運にも、その穴はその誘導ミサイルによって完全に塞がれ、気圧の力も加わり機体と一体化します。


機長は機体に何かが当たったことを察し、急降下しようとしますが、思うように下降できませんでした。そのため機長は足を下ろし、空気抵抗を使って機体の頭を下げ、急降下していきました。高度を下げ緊急着陸体制へ持っていこうとしていました。
123便の機体の一部が損壊してから、数十分後に2機のファントム機が123便の状況を把握するためにやって来ました。
123便は羽田に戻るか、横田基地に不時着するつもりでいましたが、隠蔽体質の強いその当時の自衛隊幹部たちは、どうしても内密に事を片付けたかったようです。国民からの責任追求が脅威だったのでしょう。


ファントム機からの無線連絡で、「横田基地には着陸しないでくれませんか??」「自衛隊としてトップシークレットにしたい件があるんです。」(ファントム機からの連絡)

個人的推測自衛隊出身だった機長は、その事を了解し、そこなら不時着できるんじゃないか?と言われた地点へ向かい、標高の高い地点を迂回し山の方へ向かいました。

「他にも群馬方面で不時着できる場所をこちらでも探してみます。」(ファントム機からの連絡)個人的推測
そう言って、ファントム2機は、123便から離れ、低空飛行で群馬県の方へ向かいます。

その時に、休暇で群馬の実家に戻っていた自衛隊員が、その低空飛行でゆっくり飛んでいるファントム2機を見かけるわけです。(その時間は恐らく18時40分頃ではなく、18時50分頃だと思います。)


123便は、横田基地に着陸するつもりで、だいぶ高度を下げて飛んでいたため、予定変更の不時着に向けて飛行していきます。徐々に飛行高度を上げ、目的地へ向かいました。山間にある目標としていた不時着地点まで着陸準備の速度で飛んでいましたが、その辺りの場所の付近を見回して見た時、機長は言いました。

「これはダメかも分からんね」と。(この発言はボイスレコーダーに記録として残っています。)

それは、うまく着陸できないかもしれないねという意味です。「着陸に失敗するかもしれないね」ということです。


しかし機長はやってみようと思いました。日も暮れて、辺りが見えなくなる前に着陸しなければと思ったようです。燃料も限られていたため、その二つの要因により、なんとしても目標地点に不時着しなければ、と思ったようです。


そこで機体を傾け、旋回して再び目標地点への着陸を試みようとした矢先、機体右の右翼の先端が木々に当たってしまいました。それによって、バランスを崩した123便は一気に下降し、おすたかの山へ急激なスピードで墜落してしまいました。木々にぶつかったことによって振り子のように加速がついてしまい、時速は約480キロでの衝突でした。


目標の地点を越えてから加速を400キロまで上げ、旋回するために、330キロまで落とした時の出来事です。

123便の右の右翼がぶつかった場所↓↓123便が旋回しようとしていた証拠となる写真。

御巣鷹の尾根 慰霊登山2018 / 御座山の写真14枚目 / 振り返ると、隣の稜線に切り込みが。あれが | YAMAP / ヤマップ 


何度も言いますが、その当時、操縦不能ではありませんでした。油圧系統が故障したことによる操縦不能による墜落ではありません。油圧系統は故障していません。

(森永卓郎氏の(2024.6.12付け公開発言の)「日航機は自衛隊のF4戦闘機に撃墜された 」という持論も森永氏の想像の可能性は高いです。もしもF4戦闘機にミサイルで撃たれていたなら、機体はもっとあっちこっちに散乱し粉々になっていたし、遺体の回収ももっと不確実になっていただろうと思うため。)


赤い飛行機を目撃した人がいますが、それはおそらく、チャカ2です。"まつゆき"の管制室でも、現場の状況が知りたくなり、チャカ2を飛ばし、レーダー反応による123便の情報を得ようとしていたんだと思います。


自衛隊は、123便に向けてどんなミサイルも撃っていません。ミサイルで123便を破壊してしまったら、123便についた演習用誘導ミサイルや垂直尾翼の損壊箇所の回収がより困難になってしまうからです。
人の目の少ないところで回収したかったんだと思います。しかし墜落してしまった。


そこで自衛隊幹部たちは、証拠隠滅するための行動へとより進んでいったということです。特に重要なのは胴体部分であったため、その辺りの炎上を一刻も早く消火するために燃えるものがなくなるぐらいガソリンなどをばらまき、火の気のなくなったところで回収作業を開始した可能性はありますが、今のところ、そのところは分かりません。


遺体の二度焼きに関しては、木々に引っ掛かって燃えていた機体の一部や遺体が、木々の焼却によって、支えるものがなくなり、崩れ落ち下へと落ちていった可能性もあります。そこで再び木々に引っ掛かり再び木々と共に焼かれてしまったという可能性もあります。

そこら辺は分かりませんが、それらすべてのことを現在においても、隠し通しているのが自衛隊と政府機関ということです。
そして自衛隊と政府機関による隠蔽工作による二次被害は、現在も起きているということです。それを暴こうとする者達は社会的に抹殺していくというのが、現在の自民党幹部と自衛隊幹部の考えのようです。
それがこの日航123便墜落事故の原因と事件性のある物事の全貌です。
私はそう確信しました。


隠蔽体質の社会が、より悲惨な事故や事件へ運んでいくになるという教訓にはなると思います。
しかし、この社会がその隠蔽体質を認め反省しない以上、これからも、より大きな事故や事件は起きてくるでしょう。隠蔽体質の社会にはそういう法則があるということです。必ずまた、もっとひどいようなことが起きるので、気を付けてください。


私は時空を越えて、1985年の123便墜事故の地点まで行ってました。そして多くの謎がとけ、帰ってきました。
疑問点がある方は伝えてください。
また1985年の8月12日に行って調べてきます。


※ラダーの操縦の意味は左右への舵です。

※この話の内容は、『日航123便 墜落の新事実』著・青山透子さんが調べてきた事を元にしています。この事故を調べてみようと思ったきっかけは、森永卓郎さんの『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』を読んだことによってです。

※この事件事故の分析には、私の特殊的な能力(俗に言うと"超能力")も使っています。

※余談として↓↓ジャンボジェット機の燃料タンクはこの辺りにあるそうです。

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