娯楽とは、自分自身が楽しむためにある世界のことである。

2024年06月01日

娯楽とは、人に言われて楽しむモノでもなく、回りに合わせて楽しむモノでもない。

ある娯楽(音楽でも映画でもアニメでも)に対して、ある人は「面白い」と思い、ある人は「面白くない」と思う。それが一つ一つの娯楽の世界に対しての個人的感情の基本的な流れである。

そのため、全員が全員、面白いと思う娯楽はないし、全員が全員、つまらないという娯楽もないだろう。

しかし、一つ一つの娯楽の世界も、それぞれに個人的生計がかかっていたり、会社的利益がかかっていたりするため、各娯楽の関係者達はできるだけ多数の人に「面白い」と思ってもらえるように、各自の「これは面白いだろう」いう感覚によって、作品を作り公表していったりする。

その結果に関しても、作り手側からすれば、世間からの予想外の反応があったり、期待通りの結果が出せなかったりと様々な反応を受け取ることになる。

娯楽の世界において、人を楽しませていく、感動させていくという行為は難しいという事は確かだ。

それなりに人の気持ちが分からなければ、それに応えることもできないだろう。

そのため、娯楽の世界には、人の気持ちを察することができる感性や相手が望む面白さに応えられるセンスを持った人たちが集まってくることになる。

いわゆる、”ハイセンス”な人たちが娯楽の世界に集まり、娯楽の世界の中心で活躍していくという事になる。

それを図で表すとこうなる。

世間へ娯楽を提供する人たちのセンスのレベルはだいたいこういう感じで分けられると思う。

この中での娯楽提供合戦となる。

最終的には自然と、世間が求めている娯楽と一致していく形で、このような形に分かれていくと思っていていいだろう。もちろんその中に入ってくる人達は時代の流れによって移り変わってくることも確か。

それこそが需要と供給におけるその社会内の娯楽の世界の形という事になるんだろう。

その娯楽がつまらなければ、自然と外に追いやられ、見られなくなり聞かれなくなり、やがては忘れられていく。しかしその娯楽が面白ければ娯楽の世界の中心へ向かっていくことになる。

娯楽の提供者達の運命とはそういうものだろう。

俺もまた、娯楽提供者の1人として、この構図の中に入っている。

現在もまだ需要の確認が取れないため、新たな楽曲の公開も配信もできない状態となっている。

それと同時に聞き手もまた、いつになっても俺の曲が聞けない、俺の世界を楽しむことができないという状態にもなっているということ。

それを踏まえてお互い様とは言えるだろう。

あとは、この状態がいつまで続き、どのタイミングでお互いに楽しめる状態になるかが気になるところだ。

俺は俺で面白い作品を作っているわけだし、その感覚が間違っているとは到底思えない。

間違いなく感動できるし面白いだろうという自信もある。

現時点においては、俺がどうのこうのというよりも、俺の世界に興味を持っている聞き手側の人達が俺の世界の面白さを味わえなくてもったいないなと思っている次第だ。

俺の世界をもっと楽しみたいという人がいたなら、現在配信している俺の楽曲に対して、ストリーミングやダウンロードで自分の数字を残すことで意思表示してもらいたいと思う。

個人的にあまり勧めていない聞き方だけど、”YouTubeMusic”は登録する必要もなく、タダで聞けます。ここでの再生数字は”ストリーミング”再生という事になります。検索は”Kenji Aso”で。

Line Musicでも”Kenji Aso”と検索すれば見つけて聞けるはずです。ここもストリーミング再生という事になります。

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