「女性ジャーナリストレイプ事件」の真実3(完結)

↑ある意味、真実が記載されています。
伊藤詩織さんが執筆した『Black Box』すべて読み終えました。(仕事中の空き時間において)
6章からは、さすがジャーナリストを志しているだけあって、本の中で例に挙げた準強姦事件の調査や取材に関しての内容は、素晴らしいと思いました。
ただ、、物事の中心となるところがヌケてるんです。
伊藤詩織さんという人は、おそらく、人として「どこかヌケている」と回りから思われたり、言われたりしたことはないだろうか??
そこが伊藤詩織さんの天然となる人としての資質となるところなんだろうと思います。
2015年の4月にこの事件が起きてから、2017年に『Black Box』を執筆するまでにおいても
伊藤詩織さんは、当時の右膝の痛みに対して”事件で揉みあいになった際に負傷したと思われる右膝”と表現している。
・それは、実際に山口氏と揉みあいになったという記憶がないにもかかわらず、「山口氏と揉みあった」と伊藤さんが思い込んでいる(決めつけている)ことを意味しています。
・体中のあざや痛みに関しても、”山口氏から性的暴行を受けたことによるもの”と思い込んでいます。
・自分がある時間の記憶をなくしたことに関しても”レイプドラックを混入されたことによるもの”と思い込んでいるところがあります。
・山口氏への逮捕状が取り消されたことに関しても不起訴になったことに関しても、”国家権力によるもみ消しである”と思い込んでいます。
・山口氏とやり取りしたメールの内容においても、伊藤さんは”山口氏はウソをついている”と決めつけています。
「人は見たいものしか見ない・人は自分の望むものを信じたがる」
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の名言
”心理学用語で「確証バイアス」というものがあります。
「確証バイアス」とは?
「自分にとって都合の良い情報ばかりを無意識に集めてしまうこと」です。
人間は、自分が正しいと思ったことを肯定する情報ばかり集めてしまうのです。
それは、誰しもが「自分は正しい」と思いたい心理が働くことによります。
自分の都合の良い情報ばかり集め、自分の考えを否定する情報は集めようとしません。
確証バイアスは、思い込みによる影響から生じます。
確証バイアスにより、偏った判断をしてしまうことがあります。
偏った判断をしないためには、自分にとって都合のよい情報ばかりだけでなく、逆側の立場の情報も集め、客観的に判断できるようにする必要があります。”
~参考サイト ”ロキノログ”から抜粋~
伊藤詩織さんのこの事件に対する言動というのは、結局は「確証バイアス」の現象だという事です。
自分の考えや推測に都合がいい事柄だけに注目し、それらの材料で都合のいい論理を組み立てていく。
伊藤詩織さんがこれまで行ってきた物事は、それの行き過ぎた事例となると思う。
・自分がワインを飲んだ後に、日本酒の一升瓶を半分以上飲んでいたという事実は論理の材料にしていない。
・自分が2軒目の店内で、飲み過ぎていることによって、裸足で歩き回ったり、他の客に話しかけていたりしていたという事実には全く向き合おうとしていない。
・タクシーに乗った時に、自分が飲み過ぎによって吐いてしまったことも論理の材料としていない。
・タクシーに乗った時「近くの駅で降ろしてください」という自分の発言だけに注目しすぎている。
・タクシー内で、(伊藤さんが)一人で帰れない状態までに飲み過ぎているために、山口氏が介抱にあたったのだろうという可能性も完全に自分の中で除外している。
・しらふになった時、体のあちこちにあったアザや右ひざの激痛に関しても、自分が泥酔していた時にできたものなんじゃないか?という可能性を全く視野に入れていない。
伊藤詩織さんは、自分が望む現実へ向けて、自分に都合のいい事実と推論だけを使って論理を組み立て、それを絶対的なものとして信じて生きてきたんだろうと思います。
確かに目を覚ました時に、突如として痛みしかない世界になったら、自分はただの被害者だと思いたくもなるような気もしています。
恐らくはその流れだと思います。
この世には、傷だらけの加害者、痛みを抱えた加害者というのはなかなかいないからです。
被害者というのは、何者かにやられて体中が痛い存在であり、傷を負った存在であるという認識が一般的だからでしょう。
「まさか自分で自分の体を痛めつけるような行為をするはずがない」という伊藤詩織さんの思い込みや決めつけが、この事件を極端なまでにエスカレートさせてしまったんだと思います。
伊藤詩織さんの性に対する被害妄想は、海外生活の中で培われたものではなく、日本国内において子供の頃から高校生のころまでに合計3回ほどなすすべなく痴漢にあったことが原因であることも分かりました。
伊藤詩織さんがホテルで意識を戻した時に、伊藤さんが見た現実は「自分は裸でボロボロになっている被害者なんだ」という認識です。
そしてこの「自分は被害者」というゴール(結論)へ向けて、伊藤さんは独自の論理を猛烈に組み立てていきました。
自分が「被害者」にたどり着かないような事実や物事は、すべて「不可解なこと」「そんなはずがないこと」にしていったということです。(主には酒を飲んでいる時の言動や飲みすぎによって吐いている行為)
それがいわゆる、都合のいい事実や推測だけで組み立てていった「レイプ被害者」の理屈となっていきます。
伊藤詩さんは「ホテルで目を覚ました時、二日酔いのような症状はなかった」と言っているんだけど、それは、それまでに全部吐き出していたからです。タクシーの中で飲み食いしたものを全部吐き出したわけではないということです。となれば、ホテルの中でも吐いていたということになります。
そういう出来事も伊藤さん的には、「レイプ被害者」という結論にはたどり着かない要素であるため、無視、もしくはあまり追求しなかったりするわけです。
※その当時の事実を正直に素直に伝えているのは、山口敬之さんです。
その山口さんの証言を拒否し続けたのは、伊藤さんが「そんなはずがない」と自分の中で決め込んだり、思い込んだりしているからです。
伊藤詩織さんの過ちは、記憶のない時間帯の出来事において、数ある可能性の中でたった1つの可能性だけしか提示していない点です。それは自分が相手にはめられていったという可能性だけです。
なぜ相手にはめられている状況下で、自ら日本酒の注文をし続けていたのか??
なぜ相手にはめられているのに、日本酒を飲みながら上機嫌に他のお客と話し込んでいたのか??
1軒目にしても2軒目にしても山口氏から強制的に酒を飲まされていた記憶はありますか??
1軒目で山口氏もワインを飲んでいましたか??それは自分で選んだお酒ではなかったですか?
おそらく伊藤さんは、山口氏より多く酒を飲んでいる可能性があります。それは、吐いているという事実と記憶をなくしているという事実から容易に推測できます。
山口氏は伊藤さんの酒の強さを把握していましたか?
伊藤さんが酒を飲むとどうなるか把握していましたか?
きっと何も知らなかったでしょう。何も知らない者が、相手を酒でハメようとは考えないでしょう。その日の飲み会は、おそらく親睦会のようなものだったんじゃないかと個人的には推測してます。山口氏的には「伊藤さんという人はどんな人なんだろう?」というような感じだったと思います。
下手すれば「こんなに勢いよく酒を飲む人だとは思わなかった・・・」と山口氏的にはどこかで思ったのではないんだろうか?
本来なら、伊藤さんが詳しく調査しなければならなかったのは、2軒目の店で、自分が記憶をなくした時点からの自分の言動に対してです。記憶をなくして以降、自分はどんな感じで飲んでいたのか?どんな話をお客としていたのか?などです。
俺の予想では、もし店員にその当時の様子を詳しく聞いていたなら、恐らく「伊藤さんはすごく楽しそうに飲んでましたよ」という答えをもらっていただろうなということです。
実際、その当日、山口氏から「もう帰るよ!」と他のお客と話し込んでいる伊藤さんへ声掛けをしています。それぐらい伊藤詩織さんは、2軒目で楽しんでいたという事です。
そしてタクシーに乗った後、伊藤さんと山口さんは、「お寿司美味しかった」などのような会話をしていたという事です。(タクシー運転手がそれを聞いて、高級すし店にでも行ったのかなと回想してます。<証言として>)そしてタクシーの中で急速に伊藤さんの会話は少なくなり、やがて眠った状態になります。
この時点(タクシーに乗り込んだ時点)において、伊藤詩織さんの身体中にはアザや傷がすでにあっちこっちにできていたということです。
その体の傷やアザができた最初の場所は、二軒目のトイレ内です。2合ほどの日本酒を飲んだ後に行ったトイレ内です。そこで意識を失ったと同時に倒れ込んだ拍子にどこかぶつけていることは間違いないでしょう。
その後、伊藤さんは店員に起こされ、再び席につき日本酒を飲み始めます。(この辺りからは伊藤さん的に完全に記憶をなくしています。)
そしてそれからも伊藤さんは席を立ってトイレなどへ向かったことでしょう。
伊藤さんがなぜ途中から裸足になって店内を歩いていたのか?の謎が解けたので伝えておきます。
その前に1つ聞きたいことは、2軒目の店内は広かったですか?それとも狭かったですか?ということです。個人的な予想では、都内の店舗であるため、ある程度狭かったと予想してます。
そんな中、伊藤さんはおそらく(高さは分からないけど)ハイヒールを履いていたんじゃないかということです。酒を飲んでふらついている足取りの中、おそらくその靴のせいで伊藤さんはどこかでおもいっきり膝をつくような転び方をしてしまった可能性があります。その時にも、体のどこかを何かにぶつけた可能性があります。店内が狭ければ、なおさらどこかにぶつけてしまう可能性は高いということです。
その時、伊藤詩織さんは「こんな靴はいていたら、危ない(また転んでしまう)」と思った可能性が高いです。だからその転んだ後から、ハイヒールを脱いで裸足で行動していたんじゃないかということです。
ハイヒールを脱いだのはきっとその時からでしょう。この時点ですでに、伊藤詩織さんの体にはアザや傷が多数ついている状態となります。痛い思いをするほど転んでしまったことが、靴を脱ぐきっかけとなり、安定した裸足で行動していた理由となります。その可能性は非常に高いです。
当の本人は記憶をなくしているけど、その当時の本人は、きっとそういう考えのもとに行動していたんだろうなと思います。
伊藤詩織さんには、その当日履いていた靴の確認と、店内の広さ狭さの確認をお願いします。
そして、自分がなぜ裸足で店内を歩き回っていたのか?に関しての検証を行ってみてください。
「伊藤さんが裸足で店内を歩いていた」という事実は、店員の証言として明らかなものです。
その事実に対して、どんなケースが考えられるか、伊藤さんは追及するべきだとは思います。
もちろん伊藤さん自身が、基本的に靴を履くのが嫌いで、どこであろうと裸足で歩くのが好きだというケースも考えられます。しかしそういうケースは稀だと個人的には思ってます。(その場合、伊藤さん自身が野生児的な感覚を持っているかどうかの確認となります)
そういう内容を詳しく知れば知るほど
例え俺が警察のトップであっても、伊藤詩織さんに関わる逮捕状は却下していたでしょう。国家権力は関係ないです。
なぜなら、その事件は伊藤詩織さんのただの 飲み過ぎによる、酒癖の悪さによって引き起こされた男女間のトラブルでしかないからです。
もしも伊藤詩織さんが、俺の真実追及によって人生的に追い込まれてしまうようなことがあったなら、
俺のところまで連絡ください。その人生が有意義なものになるように導きたいと思います。
もちろん俺の話を理解&信じることができたらの話にはなります。
この事件(問題)において最大級に反省しなければならないのは、伊藤詩織さんであり、山口敬之さんではないという事が分からなければ、俺と関わっても話にならないためです。
まず伊藤詩織さんが謝らなければならないのは、山口敬之さんに対してでしょう。
個人的にはこんな勘違いした事件をウィキペディアにいつまでも掲載するべきではないと思ってます。
『Black Box』という本においても、タイトル脇にでも注釈を入れて「この本の中の話は、伊藤詩織さんによる思い込みによる話が多分に含まれています」ぐらい書いておかないと、名誉棄損クラスの本になるんじゃないかと思ってしまう。もうすでに廃版になってるかもしれないけど。
伊藤詩織さんのジャーナリストとしての素質はあるとは思うけど、突如としてこのような勘違い記事で突っ走られても困るなとは思う。
もし俺の話が理解できたなら一から出直してもいいとは思ってます。
そんな時は、俺の企業設立に協力してくれるとありがたいとは思います。
(俺はこの事件の真実を追求して、伊藤詩織さんを落としにかかっているわけではありません。誤解した現実認識や社会認識で生きていくのは、良くないと思っているだけです。その本人としても誤解していない現実認識の中で生きていた方が、その人生は楽しくなるだろうと思ってます。)
伊藤詩織さんが自分の思い込みで強烈なほどレイプ被害者の論理を組み立てている以上、
その強固な論理を崩し、誤解を解いていく必要があります。個人的には完全に論破しなければならないだろうという思いは強いです。論破とはこういうことなんだろうなとも思いました。
「Black Box」において評価できる点は、伊藤詩織さんが公平にその事件(物事)に関わる証言などのデータをありのままに提示している点だと思う。
もちろん伊藤さんは、「自分は被害者である」という方向性で、それらのデータは使われてはいるけど、情報をありのままに提示してくれたおかげで、俺は公正公平に分析することができ、真実に限りなく近づくことができたと思ってます。
俺の記事を目にすることによって、「自分は被害者だ」という呪縛からできるだけ早めに解放されていくことを願います。
※もしこれまでの記事を読んでも、納得できない点があった時は、俺に質問してください。
その疑問や謎を解きたいと思います。友人経由からでもOKです。直通メール(goodtimepass@ezweb.ne.jp)でもOKです。
余談として、伊藤詩織さんがキックボクシングをやり始める描写や親から「精神科に行って」の描写には笑ってしまいました。何とも言い難い真面目さと言うんだろうか?どこか一本外れているような真面目さと言うんだろうか?存在感的には独特な存在感を持った人という感じはしてます。