令和6年(2024)11月13日に亡くなった谷川俊太郎さんに関する話
23年前(2001年)に所属していた同人誌『万有』の第3号。 (表紙などは劣化している状態です)↓↓
⇈表紙書「夜鳥」(ぬえ)若山穏空(若山修)⇐江戸里神楽をしている友人です。
⇈裏表紙
この写真からも分かるように、この”万有”の第三回の集まりの時に谷川俊太郎さんがゲストで来てくれたという事です。
そして俺もその時、谷川俊太郎さんと会っているし、さらにはゲストである谷川俊太郎さんへの質問者数名の中の1人として、意味不明な質問もしているという事です。
そういう事もあり、谷川俊太郎さんとは、わずかながら親近感があるんですという話です。
その時のエピソードを、少ししかないけど語りたいと思います。
余談・1998年10月~2000年8月頃までを振り返ってみる。 :: LoveWorldでも伝えていたように、
俺は1998年の暮れに”第一回万有賞”に応募して入選し、万有という同人誌の仲間入りをしました。
その後、”万有”内では色々な仕事が発生してきます。
『万有』という同人誌を立ち上げた大西さん(旦那さんは精神科医)という女性の指揮の元、万有は進んで行きます。
そして時間が経過するにつれ、俺にも仕事がふられる流れになりました。
その当時(24歳の頃)、俺が頼まれた仕事は、各出版社への”万有公募”の掲載依頼でした。そのため詩などを扱っている5,6社の出版社に対して、現在出版している雑誌の中で万有の公募の募集を載せてくれませんかとメールで頼んだり、OKしてくれた出版社に対しては原稿をFAXで送ったりして、意外と大変な仕事をしていました。
そんな中で翌年の2001年の1月頃、万有に集まりの中に谷川俊太郎さんがゲストで来てくれたと記憶しています。
俺もその第三回の集まりに行った時、谷川俊太郎さんが来ているとは思ってもみませんでした。
内心だいぶ驚いていたことは確かです。
「なんであの谷川俊太郎がこんなところに来てんの?」という状態です。
「大西さんの行動力、スゴイな」とさえ思ったほどです。
そんな中、大衆の前に置かれた長いテーブルの中に谷川俊太郎さんは座って、その横にも万有関係者の人が何人か座っていました。
しばらくすると、谷川俊太郎さんがコメントし始めます。
その時の記憶で残っているのは、
谷川俊太郎さんは、万有の詩人たちの集まりの前で
「これだけ詩人が集まっていると、なんか異様ですね!」というようなことを言ってました。
おそらくこの発言は谷川俊太郎さんのユーモア的な発言です。俺もその当時「そりゃそうだ!」と納得してました。
その谷川俊太郎さんの一言だけが俺の脳裏に焼き付いていることだけは確かです。
そしてやがて、谷川俊太郎さんへの質問タイムが始まろうとします。
俺はその時、大衆の1人として谷川俊太郎んと向き合う形で聞く側の位置にいました。
しかし、後ろか?横からか?、大西さんが「阿曽君、阿曽君!」とか言って手招きして、「行って行って!」と催促してくるわけです。
「あの長いテーブルの中に入って、谷川俊太郎さんに質問しろって??」
「勘弁してくれよ」と思いながらも、大西さんの熱い声掛けで、
俺は目の前の長テーブルへ向かい、谷川俊太郎さんと並ぶ形になるわけです。
長テーブルに着いた質問者は4,5人。その中の1人に俺はなったわけです。
「谷川俊太郎に何質問すりゃいいんだよ??」と言う状態に、突如としてなったわけです。
3番目ぐらいの順番で俺に順番が回ってきた時には、
もうすでに俺はパニクッていたような気がします。
最終的に順番が来た時には、質問する内容が全く思いつかず、意味不明な質問をしてしまった記憶しかありません。
質問しながら「俺は何言ってんだろ??」という状態です。
それに対して
谷川俊太郎さんは答えてくれてたんです。
その答えていた内容も俺には意味が分からなかったぐらいの状態でした。
「谷川さんはいったい何を言ってるんだろう?」という状態です。
この時、意味の分からない受け答えが、俺と谷川俊太郎さんの中であったという事です。
俺はその後だいぶ後になって思ったんだけど、谷川俊太郎さんは実に優しい人なんだと思ったという事です。
俺の意味不明な質問に、谷川さんなりに応えてくれたあの優しさ。
その時、俺は谷川俊太郎さんの詩集を1冊も持っていなかったけど、
しばらくしてすぐに、谷川俊太郎さんの詩集、『これが私の優しさです』谷川俊太郎詩集(集英社文庫)を買いました。
この詩集を買った時点においても、谷川俊太郎さんの優しさには気が付いていません。
ただ谷川俊太郎の詩を知りたいと思って買ったという事です。
今になって思う事は
谷川俊太郎さんの優しさも、谷川俊太郎さんの詩と同様に驚くほど奥深いなと思っている今日この頃です。
余談として、俺はあの時の意味不明な質問内容を恥ずかしいと思っています。何を言ったのかも覚えてはいないけど。今でも悔やんでいる状態です。そんな地点での谷川俊太郎さんとのエピソードです。
そんなエピソードであれ、谷川俊太郎さんと関われたことを光栄に思います。