『優しい魂』シリーズ4ページ
『優しい魂』(不定期に掲載)
著者/Kenji Aso 2012年12月からのブログ投稿作品
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優しいボクは自分の世界に戻ってきた後、深まる闇の中でキミのことを思い浮かべていた。
あまりに強く思い浮かべすぎていために、キミの裸の姿まで浮かんできていたのだ。
優しいボクは、鼻から血が滴れ落ちてきたことに気がつき、自分の気持ちを少し抑えることにした。
のぼせてしまったのである。
さっきまでどんよりしていた空気は、優しいボクの思いによって、だいぶ澄み渡り、辺りの気温も上昇し始めていた。
そして空はいつしか暗くなり、星達もキラメキ出していた。
「キミがボクを忘れてしまう前に、なんとかしないと。」
優しいボクはそう考えていた。
それに、まだ間に合うと優しいボクは信じていた。
さっきまで特設リング上で戦っていた二人は、どちらが勝ったのか分からないまま戦いが終わっていて、それを観戦していた者達も、何もなかったかのようにあたりに散らばっていた。
「あっ、トナカイだ!」
誰かが夜空を指差してそう言うと、
「ホントだ!」
「きっとどこからか逃げてきたんだろ。」
「どこいくのかなぁ?」
「わからん。」
と口々に言い合っているのであった。
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ユキという娘の世界の扉は、現在開いていない。
カギがかかっているのだ。
そしてその扉は回りの景色と同化してしまっていて、見えなくなっている。
それゆえに、優しいボクはキミの心の居場所が分からないのだ。
感じ取ることさえも。
ユキは今、自分の世界を閉ざしている。
ユキが俺という男を思っていた時には、ユキの世界の扉は開いていた。その頃は優しいボクもすんなりキミに会いに行けたのだが、今は気持ちを閉ざしたキミを探すことしかできないのだ。
ユキの世界の中は、それほど大きくはないのだが整然としている。
マンガや小説などの物語が好きらしく、あっちこっちに小さな劇場のようなものがある。
そして、この世界の中心となっている可愛らしい建物の中は、と言えば、やはり好きな男への思いしか入っていないのである。
その中を通って、優しいボクは、キミに会いにいくこともある。その中だけは、優しいボクが放つ熱気も相手にならないぐらいの熱気があるのだ。
ときどき、そこから出てきた優しいボクが燃えていたこともあったほどだ。
しかしユキのそばは基本的に暖かく、時々ひんやりしている。そして、どういうわけか、いつも不安に包まれている。
ユキの世界とはそんな世界なのである。
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もしも優しいボクが、ユキ以外の女子のことも見ていたのなら、優しいボクはここまで切ない魂にはなっていなかっただろう。
優しいボクを求めている女子は他にも何人かいたからだ。
そんな女子達の中でも、とくに強く求めていたのは、アイとマキだった。
アイという娘もマキという娘も、毎日のように俺の世界の中に来ては、自分の気持ちをボードなどに書いて、優しいボクに伝えようとしていた。
しかし、どちらもあと一歩の所で勇気がでてこないために、自分の気持ちを優しいボクに渡せずにいたのだ。
アイが他の求める女子達と違う所は、非常に献身的なところだった。
マキが他の求める女子達と違う所は、非常に狂気的な愛を持っていたところだった。
アイが自分の時間を犠牲にしてでも、全身全霊で自分の気持ちを優しいボクに捧げようとしているのに対して、マキは意外と挑発的に誘い、優しいボクを惑わすことができればと躍起になっているのだ。
そこまで目立つ動きをしていれば、優しいボクも
その二人に気がつかないわけがなかった。
しかし、優しいボクが今も思っているのは、自分の声も届かない、さらには心を閉ざしてしまったユキである。
そんな優しいボクを見て、献身的なアイは
「頑張れ~、いつも私ならここで待ってるよ~」
とボードに書いては伝え、
狂気的な愛を持ったマキは
「あきらめなって。どうせ報われないんだから。
私じゃだめなの?」
とボードに書いては、優しいボクを説得させようとしているのである。もちろん人目を引く、誘惑の格好をしながら。
優しいボクは、そんな訴えを見ては見ない振りをして、キミを思うのである。
「誘惑に勝つって大変だ。」
と、つぶやきながら。
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優しいボクは、俺の心の闇の中で、どれだけキミのことを思っていただろうか。
優しいボクは、昨日と同じ時間になるまで待ってから、再びドンの世界手前の交差地点まで飛んで行った。
そこでは、キミがまたアイマスクをしてウロウロしているのである。
優しいボクは、占い師のおばさんがいないことを察すると、安心してキミのそばまでいった。
「ボクのこと忘れないで!ねぇ。」
優しいボクは、そうキミに話かけた。
何を言っても聞こえないのだが、それでも優しいボクはキミのそばで話し続けていた。
「そんなアイマスクなんか外して、一緒にボクの世界にいこっ。」
「ボクを忘れようとしなければ、ボクの世界の中で遊べるんだから。」
そんなことをキミに話しかけていると、どこからともなく、また占い師のおばさんがやってきたのである。
「あんた、また来たのかい。」
「だからあんたじゃこの娘は救えないんだよ。」
「そんなに忘れられないんだったら、あんたにもいいもんあげようか?」
占い師のおばさんはそう言うと、ポケットから小瓶を差し出して見せた。
「このクスリを飲めば、
あんたもこの娘のことを忘れられるよ。」
「まぁちょっと効き目が強いかもしれないけどねぇ。エヘヘヘ。」
「そんなのいらないよ。ボクは忘れたくないもん。」
優しいボクはキッパリと断った。
「いいから持っとくだけ、持っときな。ただでやるんだからさ。」
占い師のおばさんは、そう言って強引に、優しいボクのポケットの中に入れたのだ。
しかし、優しいボクはそのクスリの入った小瓶を取り出して、すぐに投げ捨ててしまった。
「そんなのいらない。」
と言って。
占い師のおばさんは、優しいボクが投げ捨てた小瓶を拾いあげて言った。
「人があげたモノを粗末にするんじゃないよ!」
すると今度は、再び優しいボクに、違う小瓶を差し出して見せた。
「じゃこれならどうだい?このクスリはねぇ、
自分が愛する者を呼び寄せてくれるクスリなんだよ。
どうだい?このクスリを飲んで、この娘でも違う娘でも呼び寄せてみたら??」
優しいボクはその話を聞いて、なんだかそのクスリが欲しくなってしまった。
「それなら…」
そう言って、優しいボクは、そのクスリを占い師のおばさんから受け取ることにした。
そして占い師のおばさんがクスリを渡すと、優しいボクにこう言うのだ。
「この娘があんたを忘れようとしてることは忘れるんじゃないよ!」
「そのクスリの効き目は、そんなに続かないからねぇ、せいぜい夢でも見ればいいさ。」
「だけどねぇ、もし忘れたくなったら、私を呼びな。もっとイイモノを持ってきてあげっからさ。エヘヘヘ。」
そう言って、占い師のおばさんは、またどこかに消えてしまったのだ。
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アイマスクをしてウロウロしているキミのそばで、優しいボクは考えていた。
「あの人の言ってたことホントなのかな??」
「だけど…キミを呼び戻せるなら…」
そう思い早速、優しいボクは一粒飲んでみることにした。
そして、しばらくすると異変は起きた。
突然、目の前にいたキミの姿が消えたかと思うと、再び優しいボクは、キミの心を感じ始めたのだ。
「あなたに会いたい…」
優しいボクはキミの声を聞いて、すぐに自分の世界に戻っていった。
優しいボクが戻ってみると、確かにキミがこの世界の中で立ち尽くしているのだ。
「あたなに会いたい…」
優しいボクは、キミの声を聞いて安心した。
言葉が通じなくても、キミの声が聞こえるだけでいいような気さえしたのである。
しかし、またしばらくすると、キミの姿は消えてしまった。
キミの声も心も感じられなくなってしまったのだ。
「なんだ??このクスリは。」
優しいボクはそう思った。
「それならもっと飲んでやる。」
優しいボクは、今度は10粒ぐらいいっぺんに飲んでみることにした。
するとまたキミの声が聞こえてきたのだ。
「あなた…働いて…」
「あなたが好きよ。」
「忘れられない…」
しかし優しいボクが10粒飲んでも、さっきの現象と同様に、少し時間が伸びただけでまたキミが消えてしまうのだ。
優しいボクは、もう嫌になって残りのクスリも全部飲み干してしまった。
そしてキミの世界に飛んでいったのだ。
熱い建物をくぐり抜けて、キミの核となる心のそばまでいくと、そこではキミが椅子に座って、なぜかくつろいでいた。
そしてまたしばらくすると飲んだクスリの効果が切れたのである。
優しいボクはようやく冷静になって、考えてみて思ったのだ。
「ボクは来ちゃいけない所に来てしまったのかもしれない。」
「キミはボクを忘れようとしているんだから。」
「もう帰ろう。」
優しいボクは、そう思い直して、帰ろうとしたのだが、ユキの世界の出入り口の扉が閉まっていて開かないのだ。
「やばい…」
優しいボクは焦った。
「閉じ込められた!」
優しいボクは出入り口で右往左往しながら、
「もうしょうがない!開くまで待とう!」
というところまで考えが行き着き、
それから回りを見渡しては、目についた小さな劇場で、物語を見ることにしたのだ。
「どうせキミは、ボクのことを忘れることで、頭がいっぱいなんだから。」
そう言いながら、優しいボクは、ユキの世界の中で、よく分からない断片的な物語を楽しむのであった。
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「あのバカ、なにやってんのさ。」
占い師のおばさんは水晶玉を覗き込みながら、そうつぶやいているのである。
「そんなに早く飲んじまって。ここまでバカだとはワタシも思わなかったよ。どうすんのかねぇ~、そんなところで映画なんか見て暢気に笑っちゃってさ。」
占い師のおばさんが、優しいボクを見て呆れてると、ユキが言い寄ってきた。
「占いのおばさん、なんか変よ。あの人のこと忘れようとしてるのに、忘れようとすればするほど、思い出してきちゃうの。」
「そ、、そうかい?
そのアイマスクの呪い(まじない)がちょっと弱いのかもしれないねぇ~。
まだイイモノが揃ってないんだけどねぇ、この指輪なんか試してみるかい?
この指輪はねぇ、災いを取り除いてくれる指輪なんだよ。ダメな男っていうのも、災いの元だからねぇ。」
「高いんでしょ?」
「いや~、安くしとくよ。半額でこの値段!」
占い師のおばさんは値札をユキに見せながら言った。
「その値段なら、買うわ。ありがとう。占いのおばさん。」
「いいの、いいの、お嬢ちゃんはウチの大事なお得意様なんだからさ!
早くあんな男のことなんか忘れて幸せになろうじゃないの!」
「占いのおばさん、もう少しここで休んでていい?」
「あぁ、もちろんだとも!ウチも暇だからねぇ。あっそうだ!お嬢ちゃん、もしなんかあったらワタシに言うんだよ。
ワタシには見えるんだよ、お嬢ちゃんの心の中にいる、どうしようもない男が。」
「大丈夫よ、そんな心配しなくて。」
「そうかい?悪さしなきゃいいけどねぇ。」
占い師のおばさんの心配をよそに、ユキは買った指輪をはめて、元の個室に戻っていった。
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優しいボクは、ユキの世界の中にある小さな劇場でくつろいでいた。
よく分からない断片的な話を聞いているうちに眠たくなり、起きた時には映像が止まっていた。
この劇場はセンサーで可動しているらしく、人が眠っているのを感知すると自然と止まるらしい。
外に出てみると、辺りは相変わらず静かで、夜空には色とりどりのハートマークが浮かんでいた。
優しいボクは、ユキの世界の中心にある可愛らしい建物の中に行ってみることにした。
本当に自分が忘れられているのかを確かめてみたくなったのだ。
中に入ってみると、あまり熱気は感じられなかった。
しかしまだ俺という男を思っている愛のメッセージがそこら中に示されているように見えたのだ。
優しいボクは、もちろんそれは自分へのメッセージだと思っている。
「な~んだ!まだ忘れられてないじゃん。」
と辺りのメッセージを気分よく、改めて読んでいると、
実は自分以外の男へ向けた愛のメッセージも、ちらほらあることに気がついたのだ。
"ナルオさんにも惹かれてる私どうしよう。"
"ザキ君ってカッコイィなぁ。応援してます。"
優しいボクはそんなメッセージを読みながら、ついにジェラシーを覚えてしまった。
「ナルオに?ザキ?って誰?
こりゃ大変だ。本気でボクを忘れるつもりなのかもしれない。」
焦った優しいボクは、
そのメッセージの上に、手書きで
"ボクを忘れないで。
ボクはキミのことを愛してるからね。"
と書いて貼っておくことにしたのだ。
『その人の世界の中心となっている建物(思い)の中で、自分の気持ちを押し付けるような行為をしてはならない。』
高次元法第8条には、そう記してある。
明らかに優しいボクは、法を犯しているのだ。
もしも高次元警察に見つかれば、優しいボクは永久的に出入り禁止となっていたことだろう。
しかし、優しいボクにしてみれば、それどころではなかったのだ。
ユキに忘れ去られることの方が、永久的な追放に近いと受け取っていたのだ。
そして優しいボクは、再び他のメッセージも読みながら歩いてると、また勢い余ってもう一筆書いては、壁に張り付けてしまったのだ。
"もうボクはキミしか見えません。"
やりたい放題である。
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それから優しいボクは、だいぶ熱が落ち着いた建物の中を通り過ぎ、ユキの心の核となっている場所まで行ってみた。
優しいボクは、そこにキミは居ないだろうと思っていたのだが、ある一室に居たのだ。
キミは鏡の前で裸になっていた。そして自分の体の眺めているのである。
キミは胸の膨らみに手をあてながら、「ん~」と言い、今度はお尻の辺りを触りながら、「ん~」と言っていた。
優しいボクは、その姿を柱の影から眺め、鼻血が床に落ちないように気を使っていた。
そして、「あぁ~」と言いながら、しばらく言葉をなくしていたのだ。
優しいボクは、実はエッチである。
「忘れられるのかなぁ。」
服を着てソファに身を任せたキミはそう言っていた。
少し遠くからキミを見ていた優しいボクは、しばらくキミの様子を伺っていたが、途中で思い直して、その場を立ち去ることにした。
「忘れられないさ。」
と、何の根拠もなくつぶやきながら。
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俺はなんだかこの頃調子が悪い。
調子が悪いと言うか、気分が悪い。
もともとそんなに態度のいい人間ではないのだが、いつもよりも態度が悪くなっている。
もちろん、その原因が"優しいボク"の存在と深く関わっていたことは言うまでもない。
今日の俺はと言えば、移動コンビニの店員に、ちょっとしたことで文句を言い、 道を尋ねてきた男を拒み、譲れた所を譲らないなどなど、どう見ても苛立っている様子なのだ。
まさに、優しさのない人そのものなのである。
特に今日、喫茶店で見かけてしまったドンとユキのカップルに対しては、いつもとは違う感情が込み上げてきていたようだった。
その頃、優しいボクはと言えば、ユキの世界の中で羽根を伸ばしていたことは確かなのではあるが。
ただ優しいボクも、ユキの世界の扉の事は気にかけていた。
「キミの扉はいつ開くのかなぁ?」と。
そして何よりその頃、大変な事になっていたのは、俺の世界の中だった。
あまりの寒さに、破壊活動していた者達も倒れ始めていたのだ。
もちろん寒さに弱い来客者などは、早い段階で切り上げていたため無事ではあった。
が、この豪雪や人を凍らす寒さが、他の世界まで波及していくのではないかと、回りでは懸念されていたのだ。
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少し前、ある地区で事件が起きていた。
それは、マキという娘の世界から、クリスタルダイヤが盗まれたという事件だった。
このクリスタルダイヤと言うのは、その人の世界を輝かせ、原動力にもなっているもので、各自の世界の中心に必ずなければならないものなのだ。
それが盗まれたとなれば、大事である。
盗まれた人間の世界は、輝きを失い、活力さえもなくしてしまうからだ。
それゆえに、クリスタルダイヤが盗まれたマキは、自分の世界に閉じ籠ったまま、優しいボクにも会いに行けなくなっていたのだ。
そんな中、すでに高次元警察は、動き出していた。犯人の目星もつけていたらしく、近々犯人も逮捕されると聞いていた。
それから数日後、ドンの魂が逮捕されたのだ。
ドンの魂は無罪を主張していたのだが、判決は禁固10年の刑だった。
どうやら、自分の世界内にクリスタルダイヤを隠し持っていたらしい。
それによって、ドンの世界はより輝きを増していたのだった。
ドンの魂が捕まると、ドンの様子も変わってきた。 罪悪感に襲われ始めたのである。
ユキとの関係もぎこちなくなり、いつしか連絡が途絶えていたのだ。
実際には、そこまで深い関係ではなかったのだが、あの判決以来、ドンはユキを避けるようになっていた。
ユキの方もドンに対して、まだ心を開いていない状態だったため、自然と関係が途切れてしまったのだ。
そして、そんな事件があったことも知らないまま、ユキは時間を見つけては占い喫茶に通うのであった。